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一人流生活手帳 in ワシントンD.C. 鬱日記
2008年4月から1年間のワシントンDC暮らし。 食いしん坊でなんでも自分でやりたがる30歳が、DCで仕事しつつアンテナにひっかかったものをぼんやりつづります。
となりつつあるこのブログ…
すみません。過去にいくと、ちゃんとDC生活についても書いてるので古いほうを見ていただければと思います。

心療内科に通い始めて、1ヶ月半くらいなのですが、ここ数日間、PMSの症状もでているせいか「死にたい」という考えが頭から離れなくて、そして無気力さが一気に戻ってきて参っています。
原因は2つ、思い当たることがあるんですが。
その1つに、鬱だと自覚するまえから、人間関係が表面上は問題無く築けていそうで、それでいて全く誰にも心を開けていないというのが根深いものとしてあります。

その基本にあるのは、どうせ相手にとって、自分は表面的に関わっているだけの人間で、いなくなろうが関係が切れようが根本的なところでは支障は何一つない、という気持ち。
家族でも、友達でも、恋人でも、そうです。なんていうか…所詮、スペアでしかない人生、とでも言ったらいいでしょうか。

誰にとっての「一番」でもないから、誰かを自分にとっての「一番」にすることもない。

最近読んだヤマシタトモコさんの漫画に、こんなモノローグが出てきました(うろ覚えですが…)
「俺だけが、誰からも好かれない 嫌われない そんなのは存在しないのと一緒だ」
彼女の漫画には、こんな鋭く刺さる言葉がところどころ潜んでいて、だからこそ痛みを感じつつも繰り返し読んでしまいます。

何度も期待はするのです。
今度こそ、この人が「特別」なのかもしれない、と。でも、結局は何一つ理解はされず、相手にとって都合の良い「私」というイメージを作られ、そこから逸脱したことを言ったりしたりすればあっという間に関係は崩れる。
その繰り返し。
苦しさだけが、積み重なるのでもう誰とも距離を縮めたくない。関わりたくない。

人間は、別々の個であるのだから、本当の意味での理解はありえない、という人もいます。
それは正論なのだと思う。
でもその無理解の程度によってはどうしても、会話すら無意味に思えて、時には苦痛にすらなる。

もう、周りの人にとって都合の良い役回りを演じているだけの人生には疲れました。
家の中のもの、できるだけ処分して、親に保険金を残せる死に方をちゃんと探さなきゃ。
事故に見えるようにすればいいのかな。
保険金とわずかな貯金について、どんなふうに分けて欲しいかの遺言書も書いておかないと。

このブログも、きっと本当に最後に行動に移す前には消すべきなのでしょうね。
そのほうが、見てくれた友達も、知り合いも私がいたことを忘れてくれやすいでしょうから。

昨年亡くなった高校時代の同級生のお母様がこんなことをおっしゃってました。
「あの子はわがままだったけど、こんな早くに逝ってしまうから、30年で一生分のわがままをしていったのかな、と思うの」
…私も、いろいろ突っ走っていると見られることも多々あって、自分でもあれこれ欲張ってしていた時期もあった。
そうして、人生のエネルギーをもう使い果たしてしまったんでしょう。
短く、太く。
そんなことは、もうずっと前からぼんやりと思っていたけれどここ数ヶ月で一気に現実的なものになってきました。

今は、私なんかと関わってしまった全ての人に、嫌な思いをさせてしまってごめんなさい、という気持ちと
両親にはどうして不要な子どもを産んだのかという気持ち、そして残せる保険金もたいした額ではなくて
今までかかった学費などには全然足りなくてごめんなさい、という気持ち。
それでいっぱいです。


振り返ると、瞬間的に楽しいとか思っていたのも、「気のせい」だったんじゃないかというくらい薄い感覚しか残っていなくて
嫌なこと、辛いこと、悲しいことばかり記憶に残る人生だったなぁと思います。
なんの充実感もない人生。
衣食住が満たされて、仕事もあって、世界的にみたら贅沢なことをいいやがって、という状況なはずなのに
全く幸せじゃなかった人生。
こんなふうにしか受け取れない人間が、資源を使って生きること自体がとても無駄ですね。
自然にも、行きたいと思っている普通の人にも迷惑でしかない…
そう思うと、早く人生を終わらせなければ、と焦ります。

早く良い方法をみつけなければ…。


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原因は2つ、思い当たることがあるんですが。
その1つに、鬱だと自覚するまえから、人間関係が表面上は問題無く築けていそうで、それでいて全く誰にも心を開けていないというのが根深いものとしてあります。

その基本にあるのは、どうせ相手にとって、自分は表面的に関わっているだけの人間で、いなくなろうが関係が切れようが根本的なところでは支障は何一つない、という気持ち。
家族でも、友達でも、恋人でも、そうです。なんていうか…所詮、スペアでしかない人生、とでも言ったらいいでしょうか。

誰にとっての「一番」でもないから、誰かを自分にとっての「一番」にすることもない。

最近読んだヤマシタトモコさんの漫画に、こんなモノローグが出てきました(うろ覚えですが…)
「俺だけが、誰からも好かれない 嫌われない そんなのは存在しないのと一緒だ」
彼女の漫画には、こんな鋭く刺さる言葉がところどころ潜んでいて、だからこそ痛みを感じつつも繰り返し読んでしまいます。

何度も期待はするのです。
今度こそ、この人が「特別」なのかもしれない、と。でも、結局は何一つ理解はされず、相手にとって都合の良い「私」というイメージを作られ、そこから逸脱したことを言ったりしたりすればあっという間に関係は崩れる。
その繰り返し。
苦しさだけが、積み重なるのでもう誰とも距離を縮めたくない。関わりたくない。

人間は、別々の個であるのだから、本当の意味での理解はありえない、という人もいます。
それは正論なのだと思う。
でもその無理解の程度によってはどうしても、会話すら無意味に思えて、時には苦痛にすらなる。

もう、周りの人にとって都合の良い役回りを演じているだけの人生には疲れました。
家の中のもの、できるだけ処分して、親に保険金を残せる死に方をちゃんと探さなきゃ。
事故に見えるようにすればいいのかな。
保険金とわずかな貯金について、どんなふうに分けて欲しいかの遺言書も書いておかないと。

このブログも、きっと本当に最後に行動に移す前には消すべきなのでしょうね。
そのほうが、見てくれた友達も、知り合いも私がいたことを忘れてくれやすいでしょうから。

昨年亡くなった高校時代の同級生のお母様がこんなことをおっしゃってました。
「あの子はわがままだったけど、こんな早くに逝ってしまうから、30年で一生分のわがままをしていったのかな、と思うの」
…私も、いろいろ突っ走っていると見られることも多々あって、自分でもあれこれ欲張ってしていた時期もあった。
そうして、人生のエネルギーをもう使い果たしてしまったんでしょう。
短く、太く。
そんなことは、もうずっと前からぼんやりと思っていたけれどここ数ヶ月で一気に現実的なものになってきました。

今は、私なんかと関わってしまった全ての人に、嫌な思いをさせてしまってごめんなさい、という気持ちと
両親にはどうして不要な子どもを産んだのかという気持ち、そして残せる保険金もたいした額ではなくて
今までかかった学費などには全然足りなくてごめんなさい、という気持ち。
それでいっぱいです。


振り返ると、瞬間的に楽しいとか思っていたのも、「気のせい」だったんじゃないかというくらい薄い感覚しか残っていなくて
嫌なこと、辛いこと、悲しいことばかり記憶に残る人生だったなぁと思います。
なんの充実感もない人生。
衣食住が満たされて、仕事もあって、世界的にみたら贅沢なことをいいやがって、という状況なはずなのに
全く幸せじゃなかった人生。
こんなふうにしか受け取れない人間が、資源を使って生きること自体がとても無駄ですね。
自然にも、行きたいと思っている普通の人にも迷惑でしかない…
そう思うと、早く人生を終わらせなければ、と焦ります。

早く良い方法をみつけなければ…。

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【2009/10/26 00:24】 | 日記
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おおだこ
うつという病気だと自覚できているんだから、
そういうムードは病気のせいで、
ぼうちゃんの根本的な問題のせいじゃない。
はやまっちゃいかん。

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この記事へのコメント
うつという病気だと自覚できているんだから、
そういうムードは病気のせいで、
ぼうちゃんの根本的な問題のせいじゃない。
はやまっちゃいかん。
2009/10/26(Mon) 09:32 | URL  | おおだこ #-[ 編集]
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2009/10/26(Mon) 15:14 |   |  #[ 編集]
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2009/10/26(Mon) 22:06 |   |  #[ 編集]
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2009/10/26(Mon) 22:21 |   |  #[ 編集]
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